私がタイトルを「人形は葦舟で里帰り」とした理由

かとうさとる

2012年09月21日 23:29















人形は葦舟で里帰り







小田木人形座は江戸時代中頃この小田木の地に伝えられたが
明治8年「村中倹約申合」を最後に途絶えた幻の人形座である







どのような経路でこの地に伝わったのか定かではないが
八幡神社の境内を伊那谷と三河を結ぶ中馬街道が通り
馬宿の門屋に家元があったというから
「出馬千疋、入馬千疋」を数えた伊那谷の人形ブームが
ときを経てこの地に伝わったのではないか








今は郷土資料館「ちゅ-ま」で深い眠りについているが
私たちに「元の人形舞台に帰りたい」と訴えているように
思えてならない






タイトルの「人形は葦舟で里帰り」は
古くはエジプトの壁画に描かれるなど
世界各地で今なお語り継がれている
葦舟にまつわる神話や民間伝承に想を得たもので
幻の小田木人形座の復活を願ったものである








夜の帳がおりた小田木八幡神社人形舞台跡地









関連記事