徳川氏発祥の地「松平郷」

かとうさとる

2011年05月03日 15:10



松平郷を
二度訪れた司馬遼太郎


「濃尾参州記-街道をゆく43」(朝日文庫)は、週刊朝日に連載された人気シリーズ「街道をゆく」の中で発表されたもので、司馬遼太郎の急逝により未完となった。内容は戦国時代、斉藤道三、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など多くの武将を輩出した、美濃、尾張、三河の史跡を司馬史観を交えながらルポタージュした紀行文で、詳細は朝日文庫新装版で。






「濃尾参州記-街道をゆく43」については、本書の松平郷のルポを巡って地元が反発。週刊誌の話題になるなどひと悶着あったが、全ては時間が解決。この日(2日)も、六所山の山懐深い松平郷を散策しながら往時を偲ぶ県外ナンバーの車に乗った家族づれを多く見かけた。



国指定史跡の松平氏遺跡






松平氏は、応水(1394-1427)の頃に旅の遊行僧「徳阿弥」がこの地を訪れたことにはじまったとされている。徳阿弥はこの地の松平太郎左衛門の末娘の婿として家を継ぎ、名を親氏(ちかうじ)と改めた。






松平家の邸跡は、東照宮の社殿辺りにあったとされ、松平宗家の親氏、二代泰親、三代信光までがこの邸内に住んだと言われている。後に信光は西三河平野に進出、安祥城を手中におさめ、戦国期の一大勢力に成長した。






西三河平野に進出した松平氏は、織田、今川の両雄に挟まれ苦難の時代を迎える中、九代目に後に江戸幕府をひらいた家康が誕生した。

三代信光が西三河平野に進出した松平郷には信光の兄・信広が残り、明治初期に領地を返上し、東京に居を移すまで、代々松平太郎左衛門家として故郷の地を守り続けた。






松平東照宮境内に建てられた松平氏遺跡の案内看板






松平三代が眠る高月院の山門






高月院境内






六所山を背景にした高月院のランドマーク

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