2010年06月12日

どうせ都市の祝祭を狙うならそのぐらいしないと










ワールドカップ南アフリカ大会が開幕
何事もなければいいが…



どうせ都市の祝祭を狙うならそのぐらいしないと


どうせ都市の祝祭を狙うならそのぐらいしないと


朝日新聞より転載


ワールドカップ南アフリカ大会が開幕。何事もなければいいが…。
この南アフリカとベルリンの壁崩壊後のドイツを追ったドキュメンタリー番組を見たことがあるが、今でもその衝撃を忘れることができない。



この時代ファッションは
ピークを迎えていた


番組は、はじめに凄惨な銃社会の南アフリカを描いた。そんな国に逃れてくる隣国の難民。アパルトヘイト後の混乱と見過ごすことのできない文明破壊に、絶望してチャンネルを切り替えようとしたしたとき、番組はベルリンの壁が崩壊したドイツに切り替わった。

ダイナミックに生まれ変わるベルリン。番組はそんな新生ベルリンで大回顧展を開催した三宅一生を追った。一瞬天岩戸が開いたと思った。前衛がこんなにもキラキラして希望に輝いているシーンを後にも先にも見たことがない。才能が時代を開くのか、時代が才能を求めるのか知らないが、この時代ファッションはピークを迎えていた。


どうせ都市の祝祭を狙うならそのぐらいしないと

出演者が山本寛斎にオマージュのパフォーマンスを披露


話は飛ぶが、過日のNHKザ☆スターは、この三宅一生と並ぶファッション界の雄、山本寛斎をとりあげた。目を見張る色彩と装飾で70年代から世界を驚かせてきた寛斎。私はかねてから寛斎ファッションの原点は、南北朝時代に活躍した佐々木導誉の婆娑羅ではないか、と思ってきたが、12万人を動員したというモスクワ「赤の広場」のスペクタクルなショーや、戦国武将の華麗な甲冑を取り入れたショーを見て、確信に代わった。


この国は本物の才能の評価と
使い方を知らないのではないか


前置きに大半を費やしてしまったが、三宅一生と山本寛斎。すでに十分評価されている二人を例に挙げても意味はないかもしれないが、昨今、この国は本物の才能の評価と使い方を知らないのではないか、もしくは間違った評価と間違った使い方をしていてるのではないか、という気が頓にしてならない。(僻んでいるのではないので間違いのないように)

卑近な例でいえば開幕が迫っている都市の祝祭をテーマにした「あいちトリエンナーレ」。すでに采が投げられているため後戻りできないが、美術からオペラ、演劇、パフォーマンスと多岐にわたるトリエンナーレを芸術監督の建畠哲(国立国際美術館長)ひとりにゆだねるのは酷。祝祭のプロデュースと興業としてのマネージメントは別の能力で、山本寛斎の破天荒なプロデュース能力と、劇団四季を成功させた浅利慶太のマネージメント能力を使わない手はない。

どうせ都市の祝祭を狙うなら
そのぐらいしないと。
後の祭りだが、残念!


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Posted by かとうさとる at 02:54 | Comments(0) | トリエンナーレ
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