2010年12月01日

猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


みんなはハハハと
笑うかも知れないが…


私が生れ育った土橋は、いまでこそトヨタ関連の工場地帯に変わってしまったが、カキツバタで知られる名勝八橋を流れる逢妻女川の最上流にあたり、当時は湧水のような清流が流れていた。


猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


昭和20年代の逢妻女川はこんな感じ(イメージ写真は忍野八海の清流)


黒澤明の「夢」で描かれた水車のある風景のようと言うと、みんなはハハハと笑うかも知れないが、そんな田園風景が広がっていた。


猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


「挙母/資料にみる明治・大正・昭和のあゆみ」より
時代劇のセットのような土橋の水車小屋(昭和20年代末頃?)


春になると、鮒や鯰やドンコが産卵のため小川をとおって田圃に遡上してきたが、魚たちの天敵は白鷺ではなく、タモをもって走り回る悪ガキ連。その悪ガキ連は塗ったばかりの田圃の畔を荒らすため、「くそ坊主!」と鍬を持った大人たちに追われて逃げ回っていた。今から思うと食物連鎖のようで、上手くできていたと納得。

悪ガキは遊びの天才で、山の中の灌漑用のため池に移動。さすがの大人たちもそこまでは追ってこなかった。のんびり釣り糸を垂れたり、水泳をしたりと、陽が傾くまでよく遊んだものだ。

私が里川やため池に格別な感慨を覚えるのも
そんな原風景と原体験があるからで、理屈ではない。

 
前ふりが長くなってしまったが
猿投山西南麓の「ため池群」を
私が勝手に自然遺産と思う理由



猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


猿投山西南麓の保見に移り住んでまもなく30年近くなる。
今では猿投山の見える場所が第二のふるさと
というよりも、悪ガキの頃の原風景が残っているこの土地を
終の棲家にできる幸運を感謝。



猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


家の近くの「ため池」群の一つ



猿投山西南麓の「ため池群」は私の自然遺産


子どもたちが近づかない「ため池」は
いにしえの時代に還りはじめているように見えた。
私が勝手に自然遺産と思う所以である。


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Posted by かとうさとる at 21:30 | Comments(0) | とよた風土記
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