2013年12月05日

残念だが歴史は繰り返す















豊田市美術館とウイーン分離派


豊田市美術館の重要なコレクションの一つに
ダスタフ・クリムトをリーダーに
19世紀末のウイーンに花開いたウイーン分離派がある

参考までに何故、豊田市美術館でウイーン分離派なのか?
簡単に説明すると、豊田市美術館は4つの基本方針があるが
一貫しているのは、近現代の美術の流れを展観できる
美術館というコンセプトで、近現代の芸術運動のスタートを
19世紀末のウイーン分離派に置いたことにはじまる




    ダスタフ・クリムト〈オイゲニア・プリマフェージの肖像〉
    国内でクリムトの作品が見られるのは
    愛知県美術館の《人生は戦いなり〈黄金の騎士〉》と
    豊田市美術館の〈オイゲニア・プリマフェージの肖像〉の2点のみ
    
    クリムとシ―レはオーストリア政府が国外持出しを禁止しているため
    豊田市美術館のウイーン分離派のコレクションは全国の美術館に
    重要な作品として貸出されることが多い
    
    国立近代美術館で〈オイゲニア・プリマフェージの肖像〉を
    見たことがあるが、何だか誇らしく思ってしまったから私も単純
    ■写真はVISION豊田市美術館所蔵作品選図録より転載
    
 


    エゴン・シ―レ〈カール・グリュンヴァルトの肖像〉
    ■写真はVISION豊田市美術館所蔵作品選図録より転載 


余談に逸れたがクリムトと並んで
ウイーン分離派を代表するスーパースターがエゴン・シ―レで
国内でシ―レの油彩を見られるのは
豊田市美術館の〈カール・グリュンヴァルトの肖像〉1点のみ

ニューヨークのオークションでフランシスベーコンの作品が
史上最高の約141億円で落札され話題になったが
28歳で夭折したため作品の絶対数が少ないシ―レの作品が
もし、マーケットに出ればベーコンに迫ることは
想像に難くない



そのシ―レと同時期に
ウイーンで画家を目指していた
一人の男がいた


あのヒトラーである
1906年(明治38年)シ―レはウイーン美術アカデミーに入学
シ―レと同じウイーン工芸学校で学んだヒトラーは
シ―レが入学した翌年の1907年・1908年と
ウイーン美術アカデミーの受験に失敗
失意の内にウイーンを去った

ヒトラーの世紀末芸術に対する嫌悪感や
美術アカデミーに対する弾圧
悪魔と契約したしとか理解不能の光と闇の巧みな演出や
ウイーン侵攻をこの挫折と結びつけるのはいささか強引過ぎるが
その後のヒトラーに大きな影を落としたのは想像に難くない



ここで
スイッチの切り替え








    今朝の朝日新聞朝刊より転載


残念だが歴史は繰り返す

ヒトラーを持ちだすため余分なエピソードを紹介したが
「ゲルマン民族の優越」「反ユダヤ主義」など
第1次世界大戦後の世界恐慌の混乱に乗じて台頭したヒトラーと
そのヒトラーを受け入れた当時のドイツ

歴史は繰り返すというが
「強い日本」「ヘイトスピーチ」など
現在の日本がいつか来た道にならなければいいが…
危惧するのは私一人ではないと思うがどうか


  


Posted by かとうさとる at 05:58 | Comments(0) | らくがき帖