2013年06月26日

小田木人形座のおさらい














ファンが多いのも納得






小田木は菊の露地栽培でも知られているが高齢化で後継者が少ないとのこと
秋に予定している「恵那文楽小田木公演」で菊を活けさせてもらおうかな


昨夜は財団職員と
農村舞台アートプロジェクト2013で予定している
小田木人形座復活に向けた
「恵那文楽小田木公演」の地元協議

協議といっても、小田木区長、地元選出の三江市議会議員
山田小田木人形座準備会会長、後藤交流館長ほか関係者が中心のため
人形復活に向けたブレーンストーミングのようなもので
話があっちに行ったりこっちに行ったり

それでも求心力が働いて
落ち着くべきところに収まるからみんな賢い
中でも三江市会議員の話は気宇壮大というよりも
ドンキホーテのようなものでみんな大笑い(他人のことは言えないが)
それでも地域の夢を真剣に話す議員を持った稲武地区は幸せ
三江ファンが多いのも納得



小田木人形座のおさらい




全国で二番目に古い「宝暦弐歳」の紀年銘がある小田木人形座のカシラ「文七」


小田木人形座は江戸時代中頃、稲武地区の小田木町に伝えられ
明治のはじめに途絶えた人形浄瑠璃
カシラと衣装は県の有形民俗文化財に指定され
稲武地区の歴史民俗資料を展示する
豊田市郷土資料館「ちゅ~ま」で見ることができる

「ちゅ~ま」は
中部電力矢作川水系のダムや発電所を紹介展示する「揚水発電館」
蓬莱泉でお馴染の関谷醸造「稲武吟醸工房」に隣接しているため
一度で三度度楽しめるからお薦め


こちらが人形舞台の復元図




小田木人形座の由来を記した「小田木人形座」より転載


小田木人形座の舞台は農村舞台と同じように
小田木八幡神社の境内に社殿と向き合うように建てられていたが
大正時代のはじめに取り壊された

舞台の建てられていた場所は
伊勢湾台風で土手が崩れたことと土地改良工事で消滅


こちらが現在の小田木八幡神社境内





江戸時代中頃から明治のはじめにかけて人形浄瑠璃が奉納されていた小田木八幡神社


小田木人形座の舞台については長い空白があるため
古老に聞いてもみんな微妙に違い正確なところはグレーゾーン

例えば正面のトタン屋根の建物
小田木人形座の舞台の廃材を使って建てたという説と
客席の廃材を使って建てたという説の二つがあるが
小田木人形座の由来を記した「小田木人形座」に
客席についての記述がないため小田木人形座準備会の調査待ち

上図の人形座の舞台はトタン屋根の建物の左
ガードパイプの外側で痕跡はゼロ

右は八幡神社社殿
左右の杉の巨木は高さ約45㍍、幹回り620㌢、樹齢推定500年以上

境内を通っていた中馬古道は左の杉の巨樹の手前で
南に大きくカーブして足助に続いていた
武田信玄が足助を落した三河攻めのルートは定かでないが
大軍が侵攻するのは中馬古道以外にないため
もしかしたら信玄はこの社殿で勝利の祈願をしたかも









こちらは昨年、小田木人形座の復活を願って制作した
農村舞台アートプロジェクト2012「人形は葦舟にのって里帰り」

もしかしたら…
越後妻有アートトリエンナーレ2012「妻有で座敷ワラシ」
農村舞台アートプロジェクト2012の「人形プロジェクト」
と続いた昨年が私の峠だったかも  


Posted by かとうさとる at 14:02 | Comments(3) | 農村舞台