2013年04月11日

山笑う農村舞台


今回は軽く紹介


農村舞台アートプロジェクト2013の下見調査のため
藤岡地区の農村舞台を駆け足で巡った

俳句に山笑うという季語がある
草木が萌え始めたのどかで明るい春山を形容したもので
農村舞台の下見とは名ばかり
山笑う野山を散策するようなもので
今回は軽く紹介


迫町磯崎神社農村舞台





正面に見えるのは猿投山、逆光で黒っぽく見えるが
全山山桜と新緑のグラデーションで今が盛り
正面右に迫町の農村舞台の屋根が見える







迫町磯崎神社農村舞台(明治24年創建)
迫町は宝暦2年に起きた義民飯野八兵衛事件で蜂起した集落の一つ







深見町磯崎神社農村舞台





今回もプロジェクトのオープニングを予定している
深見町磯崎神社農村舞台(明治34年創建)







正面の四角い開口は農村舞台の特徴の一つ「遠見」
舞台の丸い円は回り舞台で現在も使用できる







舞台天井の木組み


余談に逸れるが参考までに




農村舞台アートプロジェクト2010の制作スナップ
イントレの上で制作をしているのは私
落ちたら死傷事故になるため一人で作業をしたが
私の仕事はいつも危険と隣り合わせで
事故がないのが不思議







で、こちらが完成した作品の部分



西市野々町八劔神社農村舞台





三国山の麓につらなる西市野々町は
土岐市と瀬戸市に接する集落で
正面に見える鎮守の杜が八劔神社農村舞台
白いラインのガードレールは県道352号線で昔の岩村道

明治・大正に活躍した岐阜県岩村出身の歌人で
実践女子学園の創始者下田歌子は
明治4年4月8日父のあとを追って上京

三国山の麓で「綾錦着てかえらずば三国山
またふたたびは越じとぞ思ふ」の一首を詠み
この岩村道を通って挙母、岡崎を経て東京に向かった






西市野々町八劔神社農村舞台
創建年は不明だが棟札の残っている
近隣の集落の舞台と構造が似ているため
明治年間のものと推定できるのではないか

屋根の赤瓦は瀬戸とのむすびつきを表すもので
農村舞台の楽しみはいろいろ




長くなるため
農村舞台の話はまたの機会に
  


Posted by かとうさとる at 00:00 | Comments(0) | 農村舞台