2011年10月07日

農村舞台アートプロジェクト開催中(19)  










毎度のことながら
ドジさ加減に笑ってしまう



都市化を象徴する文化として、しばしばオーケストラがあるかどうかで論じることがある。どんなに優れたオーケストラでも、それを理解して支える市民がいなければ、食べる人のない料理、住む人のいない家にしかずで、都市の市民力(民度)が試されるからである。

私も職としてアートマネージャーの真似ごとをしていた当時は、そんな輪の中にいたが、今はその前にすることがあるのではと反省。文化は身の丈に合ったお洒落で、一人ひとりが自分を手入れし、磨いていく地道な積み重ね以外にないからだ。

むろんオーケストラも美術館も大好きで、豊田市美術館がない、コンサートホールがない、刺激のない豊田市を想像してみれば、そのかけがえのない大切さを理解いただけるのではないか。





もって回った言い方をしてしまったが、地道な手入れの積み重ねの道標となるのが活字文化で、電子メディアの時代というが、電子メディアは情報にしかずで、人間を耕すには短兵急にすぎて百害あって一利なし。

豊田市にあってそんな活字文化を支えているのが、週一で発行されている地方紙の矢作新報。月始めは増ページで、地域の様々なジャンルで活動する論客が丁々発止の提言を発表して読み応えがある。

私も厚顔無恥を承知で末席を汚しはじめたが、穴があったら入りたいというのが正直な心境で、落ち込んでしまう。







落ち込んでいる理由は、農村舞台アートプロジェクトの反省(個人的な)もあって複雑系だが、自分で自分を救わない限り誰も救ってくれない。やるしかないが毎度のことながらドジさ加減に笑ってしまう。



リレー個展「風船降臨」消滅

今日(7日)月曜日からはじめたリレー個展「風船降臨」の撤収をようやく終えた。ここまでかかったのは、コンプレッサーで圧をかけて11時間かかって充填したバルーンの空気を抜くのに時間がかかったため。

笹戸の酒屋さんに祭礼のお神酒をお願いをして、私のリレー個展は終わったが、やるだけやったという虚脱感と、また徒労に終わったという、いつもと同じ複雑系の虚しさは失笑するしかない。






10月3日(月)「風船降臨」の撤去に着手
バルーン(直径4㍍)は栓を抜いてそのまま舞台に放置して帰宅






10月6日(木)鏡餅みたいになったバルーン






10月7日(金)液状化したバルーン

設置から撤去まで無理をお願いした
マツタニ㈱の社長と弟の義道に感謝



  


Posted by かとうさとる at 22:39 | Comments(0) | 農村舞台