2009年11月28日

大地の芸術祭から見えたもの(1)





芝峠温泉から見た晩秋の越後妻有と越後の山並み



40万人が訪れた大地の芸術祭

11月23日(月/祝日)、大地の芸術祭の秋版が終わった。まだ公式発表はされていないが、過日放映されたNHKのワンダー×ワンダー「不思議と癒しの里山のアート」は、大地の芸術祭について、「この夏40万人の人が越後妻有を訪れた」と紹介した。

一口に40万人というが、政府主導の横浜トリエンナーレ2008の総入場者数が約31万人というから、まさに空前絶後。しかも東京23区より広い地域に作品が展開することから、その半数近くが滞在型鑑賞者と推定されるなど、前代未聞の事件が起きたとしか形容のしようがない。






三省地区コミュニティー施設は旧三省小学校を宿泊施設としてリニューアルしたもので
写真はラウンジの野外テラス。




ここまではメディアを通して多くの人の周知の範囲だが、大地の芸術祭の熱気が冷めない今、そこで何が起きて、そのことが現場体験した人たちにとって、地域にとって、さらには日本のアートにとって、どんな意味をもつのか。関わった一人ひとりがそれぞれの立場で考えるべきではないか。

私は幸運にも作家として関わると同時に、短い期間ではあったが、観者の一人として三省地区コミュニティー施設に滞在し、多くの関係者やツアーの人たちと膝を交えて接する貴重な体験をすることかできた。



先ずは個人的な反省を踏まえて
「蓬平/いけばなの家」と現代いけばな



「蓬平/いけばなの家」の入場者は、大地の芸術祭の発信拠点農舞台のある松代エリアに位置したという地の利にも恵まれて、1万人近い入場者を数えた。正確なデーターをとったわけではないが、1日の入場者の内、いけばな関係者は約1割というのが「Fの会」の共通した認識で、さらにほとんどの人が「現代いけばなを初めて見た」と答えている。






蓬平/いけばなの家は、蓬平集落に多い小堺姓の本家で、現当主が県外に転居したため、
空家プロジェクトとして「Fの会」の9人が挑んだ。写真はいけばなの家の外観。




この現代いけばなについて簡単に説明したい。70年代前後から登場してきたいけばなの新しい運動と作品を私たちは現代いけばなと呼んでいる。

残念ながらいけばな界において、認識する力と評価する力が弱いため、限られた作家個人の情熱と意志によって支えられているというのが実情だが、評価の対象外で心血を注いでする仕事に悪い仕事があるはずがない。

いささか手前味噌になってしまったが、クリスト展の企画の末端やジャンルを横断したアートイベントのプロデュースに関わってきた私が(?)言うのだから間違いはない。(こんなことを断言していいのかな)



逃がした魚は大きい

「蓬平/いけばなの家」は、東京を中心にこの現代いけばなを牽引するグループ「Fの会」の同人9人が、一人一部屋の個展形式で挑んだ。各作家の作品については、このブログでも全作品を掲載しているため割愛するが、私の気持ちの中では、大地の芸術祭という千載一遇のチャンスを逃したのではないか、という思いが日毎に強くなっている。






「妻有で陰翳礼讃」(正面)とした私の作品





「妻有で陰翳礼讃」(胎内)



確かに現代いけばなのプレゼン効果はあった、と思う。しかし、もし「蓬平/いけばなの家」の作品が一人一部屋ではなく、一軒丸ごと一作家が挑んだらどうか。民俗に端を発したいけばなという行為の同時代性が、その特異性ゆえに強力な磁場となったことは想像に難くないからである。






下田尚利先生の作品「風の栖」 藁のベットは風神さまの終の棲家で、
浴衣は食べた女のコレクションというから俵屋宗達もビックリ。




アートフロントとの協議の段階で、この「こと」に想像が及ばなかったのは迂闊としか言いようがない。逃がした魚は大きいというが、いけばな界にも美術界にも場所をもたない、放浪のジャンルの現代いけばなにとって、残念のひとこと。


  


Posted by かとうさとる at 01:17 | Comments(0) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」