2009年11月12日

八ッ場ダム その時歴史は動いたか


もし、私が後世でNHKの歴史番組「その時歴史は動いた」のデュレクターをしていたとしたら、「八ッ場ダム問題」を取り上げたい。そこで何が起きて、その結果歴史はどのように動いたのか。史として結末を見てみたいからである。長くなるが、しばらくご容赦を。


八ッ場ダム問題の根は鞆の浦裁判と同じ

日本の河川総合開発計画のモデルになったアメリカのTVA(テネシー川流域開発公社)のダム群は、環境への悪影響を危惧する住民運動により解体(完了したかどうかは未確認)されるなど、先進国は脱ダムに向かっているが、日本は工事中も含めて計画中のダムが100近くあるというから驚き。私が後世の歴史番組で「八ッ場ダム問題」を取り上げたいと思っているのは、この結果次第で、日本の河川問題(治水と利水)の大転換につながるか、そのチャンスを逸するのか。まさに歴史的分岐点にたっていると見ているからである。

こんなことを考えるのも広島地裁の「鞆の浦裁判」と根は同じで、自然や景観を壊しても、土木工事を優先する経済至上主義を改める千載一遇のチャンスと考えているからである。人間の尊厳に鈍感な派遣問題も同じだ。




昭和初期の矢作川の水泳風景

かって矢作川は砂川と言われ、子どもたちの格好の遊び場だった。また大量の砂は三河湾に白砂青松の海原を生みだした。現在はダムにより土砂はせき止められ、河床も3メートルからところによっては5メートル近くも下がり、川底は固くなり海岸線はやせ衰えた。


私のポジションがばれてしまったが、現在計画中のダムのほとんどは洪水対策と渇水対策を主目的にした公共事業で、問題は至ってシンプルで分かりやすい。計画中のダムとダムの代替案を国民的議論にして深めればいいからだ。その答えが出るまでは当然ダム計画は凍結。水面下で既成事実を積み重ねるような姑息な輩は退場願うしかない。

ダムの弊害は割愛(前原さんの説明に耳を傾ければ十分)。問題はダムに代わる洪水対策と渇水対策だが、こちらも乱暴を承知で結論を急ぎたい。


TVA方式から持続可能な地域づくりへ

先ず洪水対策だが、近未来は地球温暖化による異常気象など予測不能のため、無責任かも知れないが、こんなときは自然とうまく付き合ってきた先人の知恵(土木)に学ぶしかない。既に国交省でも一部の河川で採用している近自然工法という事例もある。近自然工法とは、破壊された自然生態系の復元工法としてヨーロッパのドイツやスイスで誕生した思想と技術で、河川改修や森林の整備にとどまらず、道路や都市の基盤整備にも応用され、持続可能な地域づくりの重要な基本コンセプトとなっている。これなども参考になるのではないか。




矢作川水系は国交省の近自然工法のモデル河川として土木学会で発表されるなど、先進河川の一つとなっている。写真の工事は、支流の籠川で続けられているもので、落差工を取り壊し、生物が遡上できる自然河川に戻そうというもので、近年は源氏ボタルの大量発生が話題になった。




上の落差工も来年の夏にはこんな川相になるはずで、川ガキにはたまらない。


結論を急げば、洪水対策は堤防の補強とともに洪水の調整機能としての遊水地を優先的に整備することで対応できるのではないか。利根川の渡良瀬遊水地という事例もある。広大な遊水地(平時は湿地)は里池として野鳥の棲み家となり、渡り鳥も飛来するはずだ。用地の確保など解決すべき課題は多いが、場所によっては地下調整池という手もある。全国各地に整備された遊水地群は自然観察湿地群として環境の時代の世界モデルになるのは必須。他にも霞堤という先人の知恵もある。いずれにしてもダムの建設費用を思えば安いもの。環境問題に果たす役割はもとより、子どもたちの情操教育効果は私が説明するまでもない。


水はだれのものか

次は渇水対策だが、私が予てから疑問に思っているものに水利権がある。水利権とは河川の流水などを排他的に取水し、利用できる権利で、水利権に慣行水利権と許可水利権の二つがあることはよく知られている。ちなみに慣行水利権とは河川法制定(明治29年)以前より取水をおこなっていた農業用水などがもつ権利で、許可水利権は電力会社などがもつ権利と思ってもらえれば、理解いただけるのではないか。

問題はこの水利権の内容で、河川流量のほとんどを前述の団体企業が抑えているため、渇水対策など新規利水を申請する場合は独自に水源を確保しなければならないことである。一般に〇〇県の水瓶と言われる巨大なダムが生まれるのはこうした理由で、水はとうとうと流れていても、ダムから放流した水量以外に取水することができない。しかも水瓶の多くは水量の細い支流に作られるため、慢性的な水不足になるのは自明で、また新たなダム計画を生むという悪循環を繰り返してきた。(ダム神話のトラウマ)

平安の昔から「ままにならないものは加茂の流れに叡山の僧兵」と言われたように、河川工学は治水と利水との戦いの歴史で、私のような素人が口をはさむ問題ではないかもしれないが、今回は別。

限りある資源を有効に使うため、国民的コンセンサスで節水につとめているのに、耕作面積が半減した農業用水の水利権が半減したという話を聞いたことがない。電力会社の横暴をさしおいて農業用水を悪者にするつもりはないが、人間の命を守る水はだれのものか。緑のダムと言われる水源涵養林の整備とあわせて、既得権にとらわれず、持続可能な水利権の見直しの時期にきているのではないか。




豊田市の南部から西三河の田畑を潤す枝下用水の水源。枝下用水は明治27年、滋賀県出身の西沢真蔵が私財をなげうって完成したもので、私は豊田市視聴覚ライブラリーのアニメ制作で、西沢真蔵の伝記の制作にかかわったことがある。そんな訳で当時の人々の苦労がわかっているだけに、農業用水の水利権を問題にするのは辛いが仕方がない。


我慢強いあなたにただ感謝

統計によると、日本の海岸線の約8割は護岸堤防や消波ブロックの人工海岸線に変わってしまったとのことだが、私など海釣りにいくことが多いため、統計を読まなくても(?)こんなことは皮膚感覚でわかる。八ツ場ダム問題に門外漢の私が関心をもつのも、いけばなをしながらも、こんなことを思っているからであり、芸術活動の基本は未来をひらく意志以外にないと、いつも考えているからである。

ここまでお付き合いいただいた我慢強いあなたにただ感謝。
これに懲りることなくお付き合いいただければ幸いです。



  


Posted by かとうさとる at 19:01 | Comments(0) | らくがき帖