2009年07月29日

大地の芸術祭は自分探しの巡礼の旅


大地の芸術祭はじまる

7月26日(日)、十日町市の「キナーレ」で大地の芸術祭の開会式が行われ、9月13日(日)まで50日間、3年に一度の大地の大祭の幕があがった。開会式には私も参加するつもりでいたが、「蓬平/いけばなの家」でお客さんのお迎えを優先。残念ながらこの目で確認することは叶わなかったが、同時刻、一緒に手を合わせた。



大地芸術祭のアートマップ(一部100円)
会場が東京23区より広い地域に点在するため、アートマップは必須。 



大地の芸術祭は自分探しの巡礼の旅

大地の芸術祭とは何か。
何が多くの人を惹きつけるか。

大地の芸術祭は、深川資料館通り商店街協同組合の人たちの素朴な「かかしのこどもたち」から福武ハウスの現代アートまで混在し、慣れ親しんだ美術館の鑑賞方法はここでは通用しない。事実作品看板がなければ見落としてしまいそうな作品、逆に作品看板があれば、そのままアートとして受け入れてしまいそうな自然の造形物に戸惑う人もいるのではないか。

おまけにオープンしても完成していない作品まであって、並のトリエンナーレでは責任問題に発展してもおかしくないが、目くじらを立てる人はいない。予測はしていたが、私が今回のお薦め作品として推奨した、巨大なマストをもつ難破船「訪問者」も、柱がたったまま、遅遅として進んでいない。「上手の手から水が漏れる」という諺があるように、楽しみにしている人が多いため、制作状況の情報ケアだけは大地の芸術祭事務局にお願いしたい。

余談に逸れたが、大地の芸術祭が多くの人を惹きつけるのは、大地の芸術祭が、妻有という日本の原風景と一体になった多様な作品群を巡る「現代の聖地」になっているからではないか。総合ディレクターの北川フラムは「都市のアートは病んでいる」と語ったが、病んでいるのは社会で、そのことに心をいためている人たちが、大地の芸術祭に希望の灯を見つけた。短い滞在だったが、癌に侵されていることを話してくれたご夫婦、離れ島の病院に看護士として赴くことを決めたという若い女性、「来てよかった」と笑顔を返してくれた名前も知らない人たち。大地の芸術祭がつなぐ一期一会の出会いをとおして、その予見は確信に変わった。



広島から一人でやってきた看護士の沖田歩さん。この9月から屋久島の病院に勤務が決まり、自分探しの旅の途中で大地の芸術祭を知ったそうだ。




行けども行けども里山の鄙びた集落の廃校。今回の特徴の一つは各集落の廃校や空家をアートで再生するプロジェクトで、自治体のプランナーは是非足を運んでほしい。写真はボルタンスキー+カルマンの「最後の教室」が常設展示されている旧東川小学校。




いけばなの家から連泊している三省ハウスに帰る途中、NHKの大河ドラマ「天知人」のオープニング映像に使われている星峠の棚田を見るため車を走らせたが、山中で道を間違えてしまった。陽も暮れて心配になってきたとき、突然目の前に幻想的な谷間が出現。星峠と並ぶ儀明の棚田で、集落の灯りが蛍のように点滅。幻想的な光景に思わず声を失ってしまった。



蓬平/いけばなの家 竣工ドュメント




7月12日(日)から制作に入った蓬平/いけばなの家。
24日(金)には豊田から幟の旗竿が到着。



25日(土)地元の人も総出でお手伝い。雨でぬかるんだ道路に砂利を敷き詰めたあと、地元の枝打ちの名人が欅の樹に登って幟の補修。



いけばなの家では、空家を管理している小堺さんとFの会の大塚さんが作業をしながら談笑。二人は酒がつなぐ仲で男には理屈はいらない。



蓬平/いけばなの家のシンボルとなる幟



竣工した蓬平/いけばなの家の正面



芝峠から見た早朝の蓬平集落と蓬平/いけばなの家


妻有で陰翳礼讃

私は蓬平の集落に私が生まれ育った豊田の原風景を見つけた。タイトルの「妻有で陰翳礼讃」はそんな私の形而下にある心象風景を形にしたもので、やはり私は農民作家と納得。写真は素人写真のため仮のもので、写真家の尾越さんの写真が届き次第、他の全作品と合わせて公開したい。



妻有で陰翳礼讃 正面



妻有で陰翳礼讃 部屋の中から奥を見る



妻有で陰翳礼讃 部屋の奥から正面を見る




  


Posted by かとうさとる at 23:46 | Comments(1) | 大地の芸術祭「蓬平いけばなの家」