2009年05月07日

杜若を見るなら五月雨がお薦め



私が杜若を好きになった理由

私が生まれ育った土橋は名鉄三河線に沿って東から西に逢妻男川(杜若の名勝三河八橋は15㎞ほど下流)が流れ、川の両側に田んぼが広がっていた。五月雨の頃になると産卵のため大きな鮒が男川に注ぐ小川から田んぼに上ってきた。悪ガキの私はこの鮒を追って田んぼの畦道を走りまわった。いけばなを習い始めると、今度は田んぼの畦に咲いている杜若を切るために田んぼ通いを始めた。私が釣りキチになったのも、杜若が好きになったのもこうした原風景によるもので、半世紀余が過ぎた今もその光景は色あせることはない。



平安時代に衣を染めたカキツケバナの名に由来する杜若の花




宵々の雨に音なし杜若(蕪村)

私は蕪村好きを公言しているが、中でもこの句は三本の指に入れている。悪ガキの頃、田んぼの畦に楚々として咲いていた杜若の原風景と重なるからである。この句の情景を彷彿させるのが豊田市の西境、刈谷市井ケ谷の国指定小堤西池杜若群落で、芭蕉が八橋に立ち寄ったように杜若の歌枕にひかれて蕪村もまたこの地に立ち寄ったかも。



国指定小堤西池杜若群落の由来を記した案内板と石碑



まだ三分咲き程度で見ごろは5月中旬あたりか




業平伝説と三河八橋

伊勢物語の東下りで、逢妻男川の沢に美しく咲いている杜若の五文字を句の上にすえて、旅の句を詠んだ在原業平の「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思う」の歌で知られる三河八橋。業平が「唐衣」の歌を詠んだと伝えられる「落田中の一松」「業平塚」「根上りの松」「在原寺」「無量寿寺」など、ゆかりの史跡も多い。



旧鎌倉街道と名鉄三河線が交差する脇に八橋伝説地の碑(知立市八橋)



八橋伝説地に祀られた業平供養塔。説明板によると『「在原寺縁起」では寛平年間(889~897)に業平の骨を分け、この地に塚を築いたとされている。しかしこの供養塔はそれより後、鎌倉末期に業平を偲び建立されたものと考えられる』とあった。



鎌倉街道の並木の一部との伝承が残る根上りの松



無量寿寺。句碑は芭蕉がこの地で歌仙を巻いたことを記した連句碑



無量寿寺の庭園に咲く杜若
  


Posted by かとうさとる at 02:38 | Comments(0) | とよた風土記