2008年10月16日

私の生まれ住んでいるこのまちから発信します



豊田市の中心市街地を蛇行する矢作川と豊田スタジアム


ごあいさつ

今から100年ほど前、ロンドンで霧の画家として名声を博した豊田市出身の画家牧野義雄(1869-1956)は、著書の中でふるさとの情景を次のように書いています。


ロンドンで霧の画家として名声を博した牧野義雄


《私の生まれ故郷は、日本の擧母です。三河地方のそれはそれは小さな山間の村です。それで、あたりの景色はとても美しいのに、擧母を通りかかる旅人にしても草鞋を脱ごうとしません。魅力的な景勝の地にこと欠かない日本では、私の故郷などものの数にも入りません。それでも、もし仮に、英国か米国に擧母が置かれていると仮定してみましょう。美しい擧母の景色ゆえに、きっと有名になったはずです。何といっても自分の生まれ故郷です。それだけで私は私なりに、擧母を誇りに思っております。擧母は三河の国の北東部に位置しております。三河とは読んで字のごく「三つの川」の意味で、この地方には三大河川があります。その中の一つ、矢作川が、谷間をめぐって流れています。曲りくねる流れはまるで弓の弦みたいですが、私の村は、ちょうど弦の外側に位置しています。村から北の方角を見ますと、10マイルほどの距離に猿投山が裾野を広げ、裾野の最先端は擧母村まで迫っております。東の方に目を転じますと、矢作川の川向こうに、遠く近くの山々が重なりあいまして、上手にしつらえた屏風のような格好です。南と西の方角には、約20マイル離れた海岸まで、丘陵の斜面が下っています。》

牧野義雄が「私の生まれ故郷です」と、誇らしげに記した日本の擧母、現在の豊田市は工業都市のイメージが先行していますが、いまも水稲栽培や果樹栽培が盛んなのどかな田舎まちです。少し北に行くと昭和の本阿弥光悦と称えられた藤井達吉がひらいた和紙の里として知られる小原や、紅葉の名勝として知られる香嵐渓があり、まもなく四季桜や紅葉が見ごろになります。


二階の池から見た豊田市美術館(谷口吉生設計)


牧野義雄「ピカデリー・サーカスの夜景」1907年(豊田市美術館所蔵)


美術館もお薦めです。七つの国が見えることから七州台と名付けられた市街地を一望できる高台にあり、少し古典的ですが、シーレ、メルツ、キィファー、斎藤義重など私の好きな作品が所蔵され、もちろん牧野義雄の「ピカデリー・サーカスの夜景」もあります。レストランからは中央アルプスの山並みも一望できます。一度お出かけになりませんか。きっと気にいっていただけるものと思います。

いけばな文化研究所は私の生まれ住んでいるこのまちから発信します。

いけばなの同時代性を「史」として研究するとともに、実作者として「いけばなの現在と領域」を少しでも確かなものにしたいと考えていますが、スタートラインについたばかりです。ブレや逸脱は私の生来の癖で直りそうもありません。ご容赦いただきご教示なりとも賜れば幸いです。

かとうさとる(かとうさとるいけばな文化研究所主宰)
1944年豊田市に生まれる。国内最大規模の市民野外劇の制作、多様な文化芸術活動の企画運営や書籍の編集に関わるなど、文化による地域づくりのアートマネージャーとして活動。また70年代半ばより全国展開した現代いけばな運動に参画。国内外で個展を重ね現在に至っている。(元豊田市文化振興財団文化部長)
  


Posted by かとうさとる at 00:30 | Comments(0) | いけばなから