2009年10月22日

廃絶の危機に瀕している農村舞台


豊田市の山間部は
近世の農山村の文化の研究の宝庫


江戸時代中頃から昭和30年代始めにかけて、農山村や漁村で芸能の演じられた営業用でない舞台を一般に農村舞台と呼んでいる。その多くは集落の神社の境内に建てられ、中には廻り舞台のある本格的な舞台もあった。

近松研究所叢書「農村舞台探訪」角田一郎編(和泉書院)によると、県内の農村舞台は廃絶した舞台も含めて196舞台、その内豊田市は118舞台で、21舞台に廻り舞台の遺構があると記している。比率で言えば県内農村舞台の6割にあたり、隣接する長野県、岐阜県とともに、豊田市の山間部は近世の農山村の文化の研究の宝庫といっても過言ではない。


廃絶の危機に瀕している農村舞台

明治34年(1901)に建てられた旧藤岡町の磯崎神社の農村舞台。舞台正面があいているのは農村舞台の特徴の一つで、私は仲代達矢の無名塾の本拠地となっている能登の「演劇堂」の舞台。唐十郎が「紅テント」のラストで多用する、舞台のテント幕を上げて一気に外界と交錯させる手法など、農村舞台からヒントを得たのではないか、と勝手に推理している。


残念ながら豊田市の農村舞台は、近隣の国指定の田峯観音の農村舞台、芸能の起源を伝える奥三河の「花祭り」に遅れをとっているため、県民はもとより市民の間でも知る人ぞ知る域を出ていないどころか、多くの舞台が既に廃絶。もしくは廃絶の危機に瀕しているのが実情である。

幸い、ここにきて豊田市議会議長の八木哲也さんを中心に、こうした農村舞台を再評価する機運が生まれ、その対策を練るため、10月31日(土)、市民文化会館に有志が集まることになった。


廃絶の危機に瀕している農村舞台

旧藤岡町の磯崎神社の農村舞台の天井。屋根が草葺きということがわかる


八木哲也さんの資料によると、豊田市の農村舞台は約80舞台が現存しているとのことだが、そのほとんどが市内北部から東部の山間部に集中。ちなみに農村舞台の分布を地図に落とすと矢作川水系の塩の道に沿っていることが歴然。さらに塩の道をたどると南信州の飯田あたりで、豊川水系、天竜川水系からくる塩の道と合流しているのがわかる。何はともあれ、先ずは実見することが先。そんな訳で暇をみつけては(ここしばらくはほとんど暇)ぶらりぶらりと車を走らせている。


でも楽しみはこちら


廃絶の危機に瀕している農村舞台


小原の四季桜。まだ一分咲きで白い花がちらほら


廃絶の危機に瀕している農村舞台


道なき道の旧道を行くのが好きで、行き止まりになれば戻るだけ
これは暇人の特権で、加藤和彦も私に倣えばよかったのに
(正直に言えばどちらがいいのか私にはわからない)


廃絶の危機に瀕している農村舞台

物忘れがひどくてサイテイ(実際の色はもっと鮮やか)
いけばなでよく使う枝ものだが名が思い出せない


廃絶の危機に瀕している農村舞台

広い道に出たため振り向くと愛知県豊田市の道路標識
豊田市は岐阜県と長野県に接しているため、三つの県をいったりきたり


廃絶の危機に瀕している農村舞台


こんなふうにして今日も一日がくれていくが
こんなことをしていていいのかな
そろそろ次の仕事にとりかからなければ



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Posted by かとうさとる at 03:47 | Comments(0) | とよた風土記
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