2009年02月21日

写真で見る平戸橋のいまむかし


写真で見る平戸橋のいまむかし

①明治28年に架けられた平戸橋。写真は左岸の馬場瀬側から撮ったもので、建築中の家が数軒見えるだけで原野が広がっていた。(若子写真館所蔵)


平戸橋は名古屋から信州へ続く飯田街道の要衝

矢作川に架けられた平戸橋は、名古屋から信州へと続く飯田街道の要衝となる橋で、明治15年に当時の平井村と越戸村の間に架けられたことから名付けられた。この橋は二度流出したため、明治28年上流の現在地に写真の橋が架けられた。

この橋から上流一帯は勘八峡と呼ばれ、昭和2年には愛知県新10名所(注①)に選ばれるなど、県下でも有数の景勝地として親しまれてきた。また、橋の下流一帯は、古くから古鼠土場、百々土場、越戸土場が川湊として栄え、上流から管流しされた木材は岸部の土場で筏に組み直され、下流から川船で運ばれた物資は、善光寺街道(飯田街道)や岩村街道を通って遠く信州や東濃方面に運ばれた。

昭和20年代に入ると良質の陶土を求めて瀬戸から加藤唐九郎、岡部嶺男、京都から河村喜太郎などが移り住み、陶磁研究家で数寄者の本多静雄翁の徳を慕って全国から著名な学者や文化人が訪れるなど、平戸橋は芸術の郷として変貌していった。

日本の復興とともに各地から移り住んだ芸術家は活動の拠点を中央に移し、一帯は閑静な住宅街に代わったが、本多静雄翁の提唱した「民芸の渓」構想をもとに、全国有数の民芸館が整備されるなど、平戸橋は「民芸の里」として現在に至っている。


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②古井彦宗家の襖に描かれた古鼠土場の風景(古井幹彦氏所蔵)


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③右岸(西側)から見た大正2年頃の平戸橋(若子写真館所蔵) 


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④大正末頃の勘八峡。右の川舟は上流の富田方面に向かう遊覧船。帆を張った川舟は鮎漁でもしているのだろうか。山が白く見えるのは薪などに伐採された爪痕で、当時の燃料事情が透けて見えるようだ。(若子写真館所蔵) 


写真で見る平戸橋のいまむかし

⑤猿投町観光協会が観光用に行った鵜飼を記録した観光はがき。鵜飼船と上の写真の遊覧船の形が同じことから、上の写真も同じ頃撮影したのものと思われる。(若子写真館所蔵)


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⑥昭和4年勘八峡に越戸ダムが竣工(澁谷朗氏所蔵)


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⑦昭和30年越戸発電所と対岸の馬場瀬を結ぶ観光用の吊り橋が架けられたが伊勢湾台風で流失。昭和43年頃二代目の吊り橋が架けられたがこの吊り橋も豪雨で流失した。(澁谷朗氏所蔵)


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⑧09年冬景色の勘八峡。白い建物は越戸発電所。④⑥⑦の写真と比較して興味深いのは植生の変化で、赤松などの松林が消滅しクヌギなどの雑木林に代わったのが分かる。


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⑨09年冬景色の平戸橋下流。写真中央左の突き出た岩場周辺に写真②の古鼠土場があった。写真では見えないが古鼠土場から500メートルほど下流の左岸には百々土場の遺構が保存され、右岸の竹藪の中には岩村藩の年貢米を江戸に運んだ越戸土場の遺構が眠っている。


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⑩半分埋まったまま保存されている岡部嶺男の窯址(注②)


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⑪09年冬景色の豊田市民芸館。昭和58年東京駒場の日本民芸館の一部を移築復元してオープンした民芸館は、「衣」をテーマにした第一民芸館、「食」をテーマにした第二民芸館、「住」をテーマにした第三民芸館のほか、猿投古窯記念館や茶室、洋館からなる日本でも有数の民芸館として親しまれている。


(注①)
愛知県新10名所の制定年は、「昭和2年に愛知県新10名所に指定された」と記した平戸橋公園の記念碑から「昭和2年」としたが、猿投町史によると「大正10年頃」と記述されている。猿投観光協会が鵜飼を誘致した背景、また昭和2年に越戸ダムの工事が着手していることなど、総合的に判断すると町史の方が正しいような気がするが、二説とも公式の文言のため、機会を見て調べてみたい。

(注②)
窯址の前に「加藤唐九郎窯址」の石碑があること、また郷土史関係の記述も同様のため、当初のブログで「加藤唐九郎窯址」とした。このことついて岡部嶺男氏の遺族から窯址は「昭和33年4月に父嶺男が築いた窯で、民芸館にも訂正の申し出をしている」旨のご教示をいただいたため、「岡部嶺男の窯址」と訂正した。



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Posted by かとうさとる at 01:17 | Comments(1) | とよた風土記
この記事へのコメント
唐九郎さん、晩年は確か旭の方でやってましたよねえ。いろいろと移動しているとは知りませんでした。
現在の平戸橋の姿を見たいもんです。
Posted by risi@いけばな at 2009年02月23日 19:59
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