2013年05月23日

「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社















名古屋城
本丸御殿玄関・表書院公開開始




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社


1615年に
初代尾張藩主徳川義直の住居として
建てられた名古屋城本丸御殿は
「近世城郭御殿の最高傑作」とされ
1930年に城郭建築として
国宝第1号に指定されたが
1945年の空襲で焼失した





「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社


名古屋城本丸御殿復元プロジェクトは
焼失したこの本丸御殿を復元する
プロジェクトで
2009年に工事を着手
完成は2018年の予定

今回の公開は
本丸御殿の玄関や表書院が完成したのに伴い
本公開に先駆けて公開するもの




重文のふすま絵
「竹林豹虎図」の公開が話題




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社

2013年5月8日中日新聞より転載


名古屋城本丸御殿の
ふすま絵を代表するのが
玄関一之間に設置されていた「竹林豹虎図」

参考までに
重文のふすま絵群を描いたのは
幕府の御用絵師の「狩野派」

新聞記事の内容は
この「竹林豹虎図」の公開を巡って
「本物を置いてこそ意味がある」
という河村市長と

文化財保護の立場から
模写した「竹林豹虎図」の設置を主張する
市の担当部局の意見の相違を紹介したもので
全メディアが取り上げた

で、出した結論が
「ガラスケースで展示」という妥協案で
展示も期間限定というもの

河村市長は記者発表の場で
文化財担当者と握手をしながら
「事務局はようやってくれたが、
わしゃあ納得しとらん」と
ふてくされていたが
橋下大阪市長よりはマシ(笑い)




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社

1945年5月14日、名古屋大空襲により炎上する名古屋城(朝日新聞より転載)


米軍は1944年12月から
45年7月まで約60回にわたり
名古屋の市街地や軍需工場を空爆
8000人近くが犠牲になり
中心部の5割以上が焼失した

愛知県は大空襲から文化財を守るため
名古屋城本丸御殿の
襖や杉戸を梱包して城内の隅櫓に移管

炎上した名古屋城から
文化財をトラックにのせて
豊田市越戸町の灰宝神社に運んだ




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社

灰宝神社は延喜式に名が記されている由緒のある神社で
現在の境内は実業家前田栄次郎の寄進によって整備されたもの



この映画もどきの
脱出大作戦を担当したのが
旧猿投町出身で
当時、県の文化財担当主事をしていた
小栗鉄次郎さん




「竹林豹虎図」を戦禍から守った灰宝神社

文化財を戦禍から守った灰宝神社の宝物殿



地元の長老に話を伺ったところ
私も先輩に聞いた話と断わったあと

「小栗さんは灰宝神社の校区にあたる
現在の青木小学校校長をしたことから
灰宝神社の宝庫の存在を知っていて
避難先に選んだのではないか」とのこと

「竹林豹虎図」の公開が話題になっているが
小栗さんの決断や難題を引き受けた
灰宝神社の決断を語り継ぐため
地元の一人として経緯を簡単に記したが
私もお節介で笑ってしまう


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Posted by かとうさとる at 22:38 | Comments(0) | とよたの文化
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