2012年10月07日

とよた今昔/昭和30年代初頭の挙母市街











市販の刊行物をもとに
「とよたの今昔」を辿る



昔話をするようになったら
オシマイというが
私は幸運にも職をとおして
多くのことを学ばせていただいた

写真もそんなジャンルの一つで
「とよた今昔写真展」
文化でたどる「とよたの戦後50年展」の
企画に関わった

市民に写真の提供をよびかけ
市井の営みを
「史」として観測しようという試みで

提案したのは
当時豊田ホームニュースの記者で
写真家の故有木省悟さん
監修を郷土史家の故若子旭さん
日本を代表する山岳写真研究家で
ジャーナリストの杉本誠さんに依頼した

当然ながらこれらの写真は
公的なもので今は手元にないが
市販の刊行物をもとに「とよたの今昔」を
辿ってみようと思う

と、言っても
まだ現在の写真を撮ってないため
写真が撮れた段階で随時公開するため
ご容赦いただきたい




高度成長時代前夜の挙母市街



とよた今昔/昭和30年代初頭の挙母市街


写真で見る豊田・加茂の100年(郷土出版社)より転載


本のクレジットによると
写真は昭和31年(1956)2月撮影
アングルから月見町の枝下用水の
堤防から撮ったものと思われる


写っていないが
写真の右で加茂製糸
(現在の産業文化センターの場所)
が操業するなど
失われた養蚕の町の面影を
俯瞰する貴重な証言記録の一つ


手前の田んぼの中に見える家並みは
当時「観月境」
(31年5月売春防止法の公布により廃止)
と呼ばれた遊郭

写真中央の杜は若宮神社の大楠
その右、小さく見える杜は挙母神社
遠方の二つの山は六所山と焙烙山

写真が撮られたこの年7月
政府は経済白書を発表
「もはや戦後ではない」と指摘

昭和34年(1959)1月
挙母市は豊田市に市名を変更
自動車の都市に向けて大きく駆けだした





同じアングルから撮った
現在の豊田市街



とよた今昔/昭和30年代初頭の挙母市街


若宮神社の大楠と
六所山と焙烙山の三点を結んで
写真の場所を探したが
枝下用水の堤防下まで家並みが続いて
若宮神社の大楠が見えない
辛うじて撮れたのがこの一枚

遠くに
豊田スタジアムの尖塔が小さくみえる
その手前に黒く見えるのが
若宮神社の杜


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Posted by かとうさとる at 23:21 | Comments(0) | アーカイブ
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