2011年09月01日

農村舞台アートプロジェクト開催中(2)


農村舞台アートプロジェクト4日目


昨日(30日)の小原地区の蘆和神社農村舞台の搬入協議
阿波人形浄瑠璃「寄井座」の設営協議に続いて
今日(31日)は稲武地区の熊野神社農村舞台で「恵那文楽」の設営協議
リレー個展も2組目の制作がはじまった。

移動の途中携帯をとると
「さとるさん台風がきたらどうするだん」と石川泰弘さん
「来たら来たとき考えるから」と私

「展示が終わったあと、片づけがすぐできないけどどうしたらいい」
と稲垣陽子さん。「地元の区長さんに自分で相談しろ」私
「ダメだといったら」と稲垣さん
「わかった!その時はなんとかするから」と私

「スタンプが置いてない」「看板がわかりにくい」「蚊が多い」…
「わかった」と私。貧しい食事で最後までもつか心配になってきた。


農村舞台アートプロジェクト開催中(2)


読売新聞8月31日(水)



ここまでくるのが大変


農村舞台アートプロジェクト開催中(2)


桑原町熊野神社農村舞台で「恵那文楽」の設営協議をする
左から小野市民文化会館館長、後藤稲武交流館長
地元の桑原町の役員さん、右端は交流館の文化部会長さん

なんか難しい話をしているように見えるが
話の内容は文化振興財団と地元の役割分担の最終確認で
「わかったな、わかった」とみんな即決で答えが早い

「MCはだれがやるだん」と後藤館長
「地元でやってほしい」と私
「わかった、じゃ俺たちでやるわ」と後藤館長

「さとるさん、川手の区長さんが心配をしているので電話をしてあげてよ。10日にお祭りがあるで一緒に行くかん、安心するで」と後藤館長
「わかった」と私(行くという意味)

「協議といってもそんな程度か」と思われるかも知れないが
ここまでくるのが大変。


帰路稲武郷土資料館で
県指定の小田木人形座の頭と衣装を見る



農村舞台アートプロジェクト開催中(2)


小田木は足助方面から伊勢神峠を越えると最初に見える谷間の集落で
足助地区の明川と同じ中馬の宿場村の一つ。

定かではないが、小田木人形座は、阿波のくぐつ師が伊那谷に伝えた人形の流れをくむものと言われ、宝暦武蔵(1752年)と記された人形が遺されていることから、起源は江戸時代中期以前に遡るのではないか。

四国から人形遣いや太夫を招いて指導を受けるため「人形田」と呼ばれる共有地で費用を賄ったという小田木の人形も、芝居や狂言を戒める風潮の中で、明治8年に幕を閉じ、衣装と道具は八幡神社横の郷庫に保管。以来二度と演技が行われることはなかったそうだ。人形舞台も大正年間に取り壊された。

小田木の人形は、昭和42年に頭45点、衣装30点が愛知県指定有形民俗文化財に指定され、深い山里のロマンを今に伝えている。


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「小田木人形座」は旧稲武町が調査した唯一の紀要で先人に感謝



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Posted by かとうさとる at 02:00 | Comments(0) | 農村舞台
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