2011年05月05日

松平地区の農村舞台





その前に新聞を読んで

朝日の紙面で一番ストレートに響くのは「記者有論」で
そこだけいつも立ちあがっているように見える。

5月3日付けの「記者有論」で、目が点になったのは《今回の大震災はしばしば敗戦にたとえられるが、戦争が終わったときのように、それまでの指導者や体制が刷新されたわけではない。同じ人間や組織のままで、単なる復元ではなく、構造転換の種を蒔いていかなければならない。難しい仕事になるだろう。》と記した末尾の結び。



松平地区の農村舞台


原子力の「安全神話」を必要とした人間や組織が「フクシマ後」の構造転換の種を蒔く。よく考えたら泥棒に部屋の鍵を渡すようなもので、国民もなめられたもの。
 


松平地区の農村舞台


それではどうしたらいいか。その答えを5月1日付けの書評欄で見つけた。「証拠改竄-特捜検事の犯罪」の書評の中で、評者の後藤正治は《メディアの多様化のなかで新聞の位置が揺らいでいるが、それでも信頼性という点で新聞はいまももっとも上位を占めている。記者魂と自省こそ新聞ジャーナリズムの明日を切り開くものである。》と結んでいる。「記者魂と自省」この評者の言葉を記者クラブの各社は噛みしめてほしい。




松平地区の農村舞台



松平地区の農村舞台


お父さんが指を指しているのは徳川(松平)氏発祥の地「松平郷」




①六所神社農村舞台(坂上町宮口)


松平地区の農村舞台


市内の農村舞台の中で最も美しい舞台の一つで
市の有形無形文化財に指定されている六所神社農村舞台



②神明宮農村舞台(九久平町)



松平地区の農村舞台


巴川沿いに開けた九久平は岡崎と足助を結ぶ七里街道の要衝で
古くから松平地区の政治・経済の中心として栄えてきた。



松平地区の農村舞台


正面に見える橋を「港橋」といい、その名のとおり土場(川湊)のあったところで、川問屋に陸揚げされた海産物は七里街道を通って足助、さらには遠く信州まで運ばれて行った。



松平地区の農村舞台


巴川最上流に位置した仁右エ門土場跡の碑(港橋下流)



松平地区の農村舞台


神明宮は往時の面影を色濃く残すこの九久平の町並みの南
小高い山の上にあった。



松平地区の農村舞台


石段を上がって行くと正面に社殿、右に舞台が見えてきた。



松平地区の農村舞台


神社総代の話によると明治期に建てられたもので、もとは社殿の西側にあったものを昭和33年に現在地に移築。当時は回り舞台があって芝居も盛んに奉納されていたが移築したときに取り壊されたとのこと。



松平地区の農村舞台


舞台の内部はこんな感じ
写真は舞台で一人語りを演じる古屋和子さん





③神明宮農村舞台(桂野町)

「郡界川水系ガラ紡遺跡群」で知られる桂野町は、巴川の支流郡界川に沿った東西に細長い集落である。かって家族で営まれた家内工場群のぬくもりが今も消えることなく漂っているのであろうか、どこか懐かしさを覚えるから不思議だ。一度川沿いをゆっくり歩いてみようかな。



松平地区の農村舞台


豊田文化デザイン会議のコラボレーション「共感する悪所」」(1991年)で使ったことがあるため、油断したのが間違いのもとで、神社の入り口がわからない。結局諦めて翌日再度出直す羽目になってしまった。



松平地区の農村舞台


20年ぶりに再訪した神明宮農村舞台



松平地区の農村舞台


写真はその「共感する悪所」で、神明宮の舞台を使った水野シゲユキさんと伊藤光二さんのコラボレーション。二人を組み合わせた企画者の茂登山清文さんの眼力に脱帽。みんなどうしているのかな…。
 


④志賀神社農村舞台(岩倉町)

岩倉町は巴川を挟んで九久平町の対岸に古くから開けた集落で、子どもを見つけて「志賀神社はどこ(?)」と聞くと、「ついて来て」と自転車を走らせた。なんだかNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を見ているようで、嬉しくなってしまった。



松平地区の農村舞台


階段を上がって行くと木立の中に空間がポッカリ穴が空いたような広場があり、その正面に社殿が鎮座していた。



松平地区の農村舞台


舞台は明治時代に建てられ、当時は回り舞台もあった本格的な舞台だったが伊勢湾台風で大破。現在の舞台はその後建てなおされたものとのこと。



⑤神明社農村舞台(王滝町)

王滝渓谷は「東海の昇仙峡」の名で親しまれている景勝地で、松平親氏や鈴木正三ゆかりの名刹妙昌寺もあるため、私も幾度となく足を運んでいるが、神社を見たことがない。本当にあるのかな…。



松平地区の農村舞台


妙昌寺の近くで野鳥を撮影しているグループに聞いたが「知らない」とのこと。諦めて出直そうと思ったときに、歩いてくるオバサンに遭遇。「王滝の神社はどこ(?)」と私。「確か山の上だよ」とオバサン。



松平地区の農村舞台


七里街道に面した王滝渓谷の第二駐車場に車を止めて、オバサンに言われた山道に足を踏み入れたが、農村舞台を探すのにトレッキングをする羽目になるとは。(少し疲れました)



松平地区の農村舞台


確かにあったが、ホラー映画に出てくるような佇まいでちょつと不気味。個人的にはこんな空間で展覧会をしたら面白い、と思わないでもないが、それにしてもこの空気感は普通と違う。帰路、王滝渓谷の方から登る参道を見つけたが似たようなもで、スタンプラリーの難所になりそう。



松平地区の農村舞台


この舞台は昭和7年に建てられたものだが、現存する舞台の前にも古い舞台があったとのことだが、もう知る人もいないとのこと。



松平地区の農村舞台


外見は朽ちかけて見えるが手入れをすれば十分使えそう



今日はここまで

ざっと松平地区の農村舞台を紹介したが、元治元年の棟札の残る幸海町の津島神社農村舞台、歌舞伎を上演したときの古い上演目録を残す坂上町の豊栄神社農村舞台、滝脇町の春日神社農村舞台など既に消滅した舞台も多く、紹介した舞台が同じ道を辿っても不思議ではない。
今日はここまで、お疲れさまでした。


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Posted by かとうさとる at 02:07 | Comments(0) | 農村舞台
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