2015年12月29日

お釣り土場の藪椿が開花














暖冬の理由は省くが
各紙が東海地方のスキー場の
雪不足を報じている






暖冬は当然のように花木の
開花のサイクルに影響

先に紅梅が咲いたと書いたが
今度はお釣り土場の藪椿が開花




お釣り土場の由来







ダムの影響で川相が変わってしまったが
釣り人にとって「お釣り土場」は
依然として矢作川屈指の好ポインで
聖地のようなもの







「お釣り土場」の由来は定かではないが
「お釣り」は魚釣りの意味で
「土場」は場所を表し


「土場」は川湊の別称で
写真の上の左あたりに遺構が遺る
「越戸土場」からついたもの


余談に逸れるが私は本の編集で
岩村藩と豊田市との関わりを
調べたことがある


岩村藩は
松平氏が木曽川の兼山湊に変えるまで
年貢米を岩村道を利用して
12里(約48キロ)を陸路で運び
「越戸土場」から河口の平坂湊を経て
海路江戸に運んだ


明治・大正に活躍した岩村出身の歌人で
実践女子学園の創始者
下田歌子も明治4年4月8日
父のあとを追って「越戸土場」から
舟に乗ったことがわかっている


それがどうした
と言ってしまえばそれまでだが
そんな出来事を偲びながら
川面を見ると
また違った見え方がするから
飽きることがない
  


Posted by かとうさとる at 00:54 | Comments(0) | フォト歳時記