2015年08月30日

同い年の天才絵師 蕪村vs若冲










先週木曜日
話題の「蕪村と若冲展」に足を運んだ




私は蕪村好きを公言しているが
ほとんどが蕪村全集やメディアの耳学問で
蕪村の生の絵をみたことがない

昨年、アートニュースで
その蕪村と若冲の生誕300年を記念した展覧会が
サントリー美術館と信楽のミホ美術館(MIHOMUSEUM)を
巡回するという情報を入手した




  蕪村と若冲展のポスター

  タイトルにあるように
  尾形光琳が亡くなった正徳6年(享保元年・1716年)
  京都で若冲が、大阪で蕪村が生まれた

  誰が仕組んだのか知らないが
  のちに蕪村は、京都で若冲の家から数百メートルの場所に
  居を構えたというから話は出来過ぎ



ミホ美術館は









  アクセスは新名神「信楽」インターより約15分


ミホ美術館は
予てから一度は行きたいと願っていた美術館の一つで
建てたのは世界救世教から分派した「宗教法人神慈秀明会」

乱暴な説明をすれば
東のMOA美術館(熱海)と西のミホ美術館(信楽)と言えば
美術館の特異性と立ち位置をイメージいただけるのではないか

設計はパリのルーブル美術館のガラスのピラミッドや
ワシントンのナショナルギャラリー東館など
世界的に知られる建築家のI.M.ペイ

設計のテーマは「桃源郷」
建築容積の80%以上を地中に埋設
自然豊かな信楽の山中に出現したミホ美術館は
まさに美のシャングリラだ



平日なのに駐車場は満車



  駐車場とレセプション棟を結ぶシャトルバス





  美術館の入場券を購入するために並ぶ入館者



  レセプション棟から美術館までは電気自動車で移動
  茶室の路地を進むようなもので徒歩でも10分ほど
  枝垂れ桜のトンネルは有名

  






  北館(企画展示棟)と南館(コレクション棟)を結ぶ回廊



芭蕉を心の師として
崇敬し続けた蕪村


俳句と一体になった文人画の世界を追及した蕪村と
純粋絵画の美と技法を追及した若冲の比較は
将棋と囲碁の世界を比較すようなもので
どこまで行っても平行線で交わることがない

強いて言えば好みの問題だが
画家として天賦の才のあった同時代の
応挙や大雅や若冲に交じって
日本文化の精神性をビュアーに深めていった
蕪村の一筆一筆に惹かれる人は多いのではないか

若冲については
「若冲ブーム」で説明は不要のため省くが
ざっと概観した印象は少し拍子抜け

同行した彫刻家の池田さんから
「そんなの好みの問題だから決めつけちゃいかんよ」と
注意されたが、一つには若冲の代表作の多くが
メトロポリタン美術館など海外に流失して
国内が手薄すという背景もあるのではないか




  意味はどうとでもとれるためよくわからないが
  「学問は尻からぬけるほたる哉」の讃は笑っちゃう



今まで鉄斎など多くの南画を見てきたが
凄みに圧倒されて呼吸が苦しくなっても
心が穏やかになることはなかった

初めて蕪村の絵を生で見たが
蕪村その人がそこにいるようなたたづまいと
絵が実物以上に大きく見えたのは不思議



  「夜色楼台図」を見れただけで至福


ざっと蕪村と若冲展の印象を記したが
奥の細道などの俳画で生計を立てた漂泊の時代

京都に居を落ち着け国宝「十便十宜帖」の競作など
天才、池大雅と凌ぎを削った40~50代

大雅亡き後
独自の画境を深めた晩年

絵師として名を成した蕪村は
芭蕉ゆかりの金福寺(京都市左京区)の境内にあった
芭蕉庵を再興

芭蕉の墓碑を建て
「我も死して碑に辺せむ枯尾花」
と、詠んだ孤独な蕪村に思わず落涙


なお
蕪村と若冲は今日で閉幕
ご容赦を
  


Posted by かとうさとる at 22:21 | Comments(0) | アートの現在