2015年05月04日

小田木人形座準備会の練習場決まる










小田木川で泳ぐ鯉幟




多ければ良いというものじゃないよね
このぐらいが丁度いい


小田木人形座準備会の
練習場決まる



農村舞台フォーラムの最大の収穫は
小田木人形座準備会のメンバーにスイッチが入ったこと
会報に続いて自治区と掛け合って練習場を確保するなど
みんな前ノメリで嬉しい誤算(大丈夫かな)




場所は小田木区民会館の2階
小田木は別に新しい公民館があり
こちらの区民会館は使ってないというからお大尽


で、一昨日の5月2日
メンバーで大掃除







撮らぬ狸の皮算用で笑ってしまうが
アトリエ公演ができそう


お宝見つかる!







寛政8年(1796年)作成の小田木の絵図
鉛筆書きで「人形田」や「文」の加筆が見つかったが
「人形田」は人形座の経費を捻出するための共有地の場所を
「文」は人形師で庄屋青木文蔵の自宅の場所を示すもの





小冊子「小田木人形座考」の原本も一緒に見つかったため
同時期に小田木人形座保存会が加筆したものではないか



こんな幟も!







村社の祭礼に立てた幟
左は明治21年に作成した幟
右は作成年は書いてないが
筆跡が似ているため
同一の人物が揮毫したものと
断定してもいいのではないか

問題は右の「小田木座」と揮毫された幟
小田木人形座は明治8年に「村中諸事緊縮の申し合わせ」の
村制定以来、一度も上演されなかったと記されている

幟の作成時期によっては
村人の人形座への処し方が推測できるため
調べる必要アリ


手がかりは佐藤清臣の落款





佐藤清臣は宮司にして水戸藩に仕えた国学者

明治5年、安倍総理が所信演説で引用した
稲武の素封家古橋暉児(ふるはしてるのり)は
民心教導の使命を果たすため佐藤清臣を招いて
「名月清風校」を開校

以来、佐藤清臣は校長として
また宮司としても稲武の発展に大きな足跡を記した
問題はこの幟をいつ揮毫したのかだが
現段階では不明

こんな写真も





明治32年頃の小田木集落
手前右の大きな屋根の家は人形座準備会座長の
山田良稲さんの自宅(大家なんだ)


  


Posted by かとうさとる at 02:36 | Comments(0) | 小田木人形座

2015年05月04日

小田木人形座準備会が会報を発行










大丈夫かな

連休明けには
農村舞台アートプロジェクト実行委員会が予定されているが
先の農村舞台フォーラムの最大の収穫は
江戸時代半ばに稲武地区の小田木に伝わり
明治の初めに途絶えた小田木人形座の復活に向けて
準備会にスイッチが入ったこと







みんなガチで本気になっちゃったみたいで
大丈夫かな


みんなやることは早い!




古橋暉児が奨励した養蚕の復活を目指して活動する
「まゆっこクラブ」と協働してこんな三番叟ストラップの計画も

写真は試作品で
ネーミングは地元の子供たちに依頼する予定
みんなやることは早い!

  


Posted by かとうさとる at 02:30 | Comments(0) | 小田木人形座