2013年10月29日

飯野八兵衛の原作は和田竜に匹敵する面白さ









原作は長居紀章著
義人・飯野八兵衛


宝暦2年(1752年)
挙母藩を揺るがした飯野八兵衛事件については


豊田市史のほか藤岡町誌、教育委員会発行の副読本など
多くの郷土史家が宝暦の義人伝として著わしている

また郷土史料としては
初代西加茂郡長田中正幅の編集した「挙母藩史」に詳しい

渡辺善次著「七州城沿革小史」にも記述があるが
挙母藩側からみた記述でこちらは当然のように
非は八兵衛ら事件の首謀者にあると手厳しい

どちらが正しいのか私では分からないが
確かなことは幕藩体制にあって
一揆を主導した八兵衛ら6人の打ち首という犠牲はあったが
一揆側の要求がほぼ認められたという決着と
今も義人として地元で祀られているという徳の二つをあわせると
八兵衛に理があることは想像するに難くない



和田竜に匹敵する面白さ



    「義人・飯野八兵衛」は絶版で永井先生の家にもないとのこと
    古書店のネットで二冊見つけたが私が一冊購入したため
    残りは一冊で早い者勝ち



そんなとき図書館で見つけたのが
長居紀章著「義人・飯野八兵衛」で
映画化された「のぼうの城」の和田竜を彷彿させる
面白さで一気に読んでしまった

さぞ名のある作家にちがいないと調べたがわからない
図書館で訪ねても本人からの寄贈でよくわからないという

奥付の発行人永井忠夫を手懸りに探っていくと
長居紀章はペンネームで本名は永井忠夫
昭和13年から終戦まで藤岡村村長をつとめた
文人政治家とわかったときは絶句



目に見えない
何かに導かれたと思うほかない




    永井昌先生は陶芸、木工、刻字と多彩で
    写真のテーブルも後ろの家具も全て自作というから驚き


調べた住所を訪ねると
予てから「○○工房」の看板を見て
一度訪ねてみたいと思っていた工房に辿りついてしまった

広い庭先でキョロキョロしていると
工房の奥から「珍しい人がきたなぁ」と
面識のある元校長先生の永井昌先生が出てきた

私が事情を説明すると
「うちの親父だァ」と永井先生

灯台もと暗しというが
半年ちかくかけて探しあてた著者の住まいが
予てから私が一度訪ねてみたいと思っていた工房で
当主が旧知の元校長先生というから出来すぎ

目に見えない何かに導かれたと
思うほかない


  


Posted by かとうさとる at 01:54 | Comments(0) | とよたの文化