2013年01月06日

吟詠ミュージカルのプラン浮上






コトの発端は






朝刊を読んでベランダに出ると東の空が赤く染まっていた



昨夜は吟詠ミュージカル(仮称)義人飯野八兵衛の
イメージトレーニングで布団に入っても目が覚めて
とうとう夜が明けてしまった

話は昨年暮れ、吟舞夢舞台の座長の松尾樹豊さんから
豊田文化功労賞受賞記念吟舞夢舞台特別公演の
プロデュースと脚本を依頼されたコトにはじまった

吟舞夢舞台は、全国レベルで活躍する詩吟の先生が
合同ステージをつくるため結成した一座で
私も結成に関わったため断わる理由はない

どうせ演るなら誰も演ったことのない舞台でなければ面白くない!
「詩吟のミュージカルはどう」と私(いかにもと言った感じで)
「それいいね、是非お願いします」と松尾さん
酒の席の話はブレーキが効かないから恐ろしい

(ビールを注ぎながら)「なんかいいモノありますかね」と松尾さん
「もし演るなら飯野八兵衛しかない」と私
「いいね、それ!」と松尾さん

どんどん話がエスカレートして
いいトシした大人がマンガみたいで笑ってしまうが
飯野八兵衛はいつか舞台化したいと
思い描いていた題材で
もし実現すれば本邦初公開の舞台になるはず

使いたい詩吟のトップや
ミュージシャン、役者も揃っている
キーパーソンの語り部も
畏敬する長唄のカリスマ「三味線やそすけ」でOKもとった




ここまで書いてしまったので
ついでに飯野八兵衛について簡単に?
説明すると



寛延2年(1749年)2月、挙母藩は新しい城主として
上州安中(群馬県安中市)より内藤政苗を迎えた







新城主内藤政苗は、前挙母城主の本多氏の陣屋跡に桜城の築城を着手したが
矢作川のたびたびの大洪水により工事を断念し七州台の高台へ居城を移した


挙母藩主の内藤家は、国替えによる出費や築城(桜城)の準備金など
多額の費用を用意するため厳重な検地を実施して年貢の増収を図った


農民たちの生活は日々苦しくなり
藩政への不満が至るところで出るようになった







飯野八兵衛が眠る林宗寺(藤岡飯野町)


飯野村(現在の藤岡飯野町)の農民から慕われていた
庄屋の山本八兵衛(飯野八兵衛)は仲間を救済することを決意
周辺の村の同志と協議し、藩に嘆願したが藩主には達しなかった







嘆願に敗れた八兵衛は
飯野村、迫村、舞木村、四郷村の四カ村の庄屋らとはかり
江戸詰で江戸藩邸にいる藩主に集団で
貢租減免を直接請願することを決意


宝暦2年(1752年)12月3日未明
総勢1241人の農民を率いて挙母城下を通過


途中岡崎藩で行動をいさめられた八兵衛らは900人余を帰村させ
残った300人余りを率いて東海道を東上
江戸藩邸で農民の窮乏と在藩役人の悪政を提訴した


暴徒になるのをいさめて農民をまとめあげた
八兵衛の統率力と指導力によって
提訴は八兵衛らの要求をほぼのむ形で沙汰が降りたが
事件の責任をとって八兵衛ら6人は処刑
在藩役人の責任も追求された


後日、挙母藩は八兵衛らに対して罪をとき
八兵衛には「山光院」の院号をあたえた







藤岡飯野町では
いまでも村を救った義人飯野八兵衛として崇められ
毎年4月1日、住民たちによって供養がおこなわれている


お疲れさま(苦笑)  


Posted by かとうさとる at 01:31 | Comments(1) | らくがき帖