2012年12月04日

今日の紙面から/プリンターのインクが高い理由






これって
カルテルじゃないのかな


百歩譲っても再販制度に抵触するのではないか






12月4日発行朝日新聞より転載


  


Posted by かとうさとる at 23:14 | Comments(1) | らくがき帖

2012年12月03日

12月2日(日)青木野枝展の対談に足を運ぶ










美術館で空を見上げると
いまにも霙が降ってきそう







前のブログで「何でも安請け合いするバツ」と
自分のスランプを自虐ネタにして笑ったが
こんなときは怠けている脳を刺激するのが一番

「人生の指定席」にしようか
「007スカイフォール」にしようか
「のぼうの城」にしようか
迷ったが一人で映画を見てもつまらない







で、決めたのが近場の豊田市美術館
青木野枝と中原浩大の対談に足を運んだ







駐車場で車のナンバーを見ると
品川、横浜、所沢、栃木、神戸などなど首都圏や関西圏からも
コアなファンがきているようだ







そういえば雪村でランチをしているときも
ひと目でそれと分かる若いグループが何組も入ってきたが満席
何か申し訳なくて「ゴメン」と背中で謝ってしまった




青木野枝|ふりそそぐものたち
対談/青木野枝×中原浩大






青木野枝展に足を運ぶのはこれで5回目
5回目となると作品たちもシンパシ―を感じるのか
いろんな言葉が聞こえてくる

そんな中で前から気になっていたのが
展示室4の《雲谷2009-1》と題したこの作品

大作が注目を集める中で
風のように自然体で見過ごしてしまいそうだが
振り返ると確かな造形で去り難く
また戻ってしまった

青木野枝の呼吸と鉄の呼吸と場の呼吸が一つになった至福の作品で
造形の神さまは時々こんな悪戯をするから困ったもの







こちらが整理券
私はいつものように最後列に座ったため
顔はよく見えなかったが二人とも美系で
天はニ物を与えずというがウソ

で、本題の対談だが
始めから最後までフラットでヤマ場なし
まあ、いまどきのアーティストトークはこんなものと思うしかないが
それでも随所にキラッと光る言葉が飛び交うから気が抜けない

例えばこんな言葉
メモをとっていないため間違っているかも知れないが
中原浩大は「私は彫刻家になりたい」という青木野枝に真意を質した

説明すると長くなるため簡単にするが
パーツにした素材を現場で呼吸をしながら設置する
青木の仕事は一般にインスタレーションという括りで紹介されるが
その基本となるのは確かな空間認識で
多分私も青木の立場であれば同じ言葉を使ったはず

「私は彫刻家です」と言わずに「なりたい」と言ったところがミソで
《雲谷2009-1》に私の心が立ち止ったのも
そんな青木のメッセージを感じたからだと思う



豊田市美術館・名古屋市美術館連携企画
青木野枝|ふりそそぐものたち
■豊田市美術館は12月24日(月/祝)
■名古屋市美術館は12月16日(日)まで






  


Posted by かとうさとる at 15:22 | Comments(0) | 美術・博物館+ギャラリー

2012年12月01日

生物多様性の時代をひらいた児ノ口公園




落ち武者は
薄の穂にも怖ずというが
いまの私は電話やメールにも
ドキッ!



何でも安請け合いするバツで
年内はデスクワークで缶詰になりそう
いいトシしてサイテイ

まあ、こんな事はどうでもいいが
昨日は三河印刷の稲葉さんと寺本デュオリサイタルの
プログラムの打合せをした帰路
児ノ口公園の紅葉が目にとまってクルマを停めた







一見して都心に残されたサンクチュアリ、里山のように見えるが
この都市公園がグランドやプールのあったスポーツ公園を
多自然工法でより自然に近い里山に作りかえたと知ったら
驚く方もいるのではないか







児ノ口公園は豊田市駅から徒歩で10分ほど
もとは国道248号に面し市内で初の市営プールや
草野球のグランドが整備されたスポーツ公園







施設の老朽化や手狭になったこともあるが
1990年代半ばに子どもたちの歓声が聞こえるプールや
野球ができるグランドを潰して自然公園を作るという
発想をした市民と市職員と決断した市長に拍手(パチパチパチ)

当時事情を知る私でも理解不能だったから
ドイツなどヨーロッパの近自然公園を知る一部の関係者以外は
ほとんど「もったいない」と思ったことは想像に難くない







経緯は省くが
暗渠になっていた昔の里川(五六川)も地上に復活
野鳥やホタルも戻ってきた児ノ口公園は
2004年土木学会デザイン賞を受賞
生物多様性の時代をひらいた都市公園モデルとして
いまも全国各地から視察に訪れる人が絶えることがないそうだ



児ノ口公園は
衣の君落別王が眠る
パワースポット
 

ここまで書くと
児ノ口公園=近代的な自然公園を
イメージする人もいるかも知れないが
今日のサプライズはこの公園の下に
衣の里のパワースポットが
眠っているという都市伝説のオハナシ

児ノ口公園の西の端に
児ノ口公園の名の由来になった古い社が祀られている

祭神は第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇子で
古事記に「三川衣君」(みかわころものきみ)の祖と
書かれている落別王(おちわけのみこ)

いまも衣浦湾(三河湾)の名が残るように
伝承によると古事記が著された時代、衣の里は広く
この地を開いて治めていた落別王は
碧海西部、知多東部を見て回っている途中に
児ノ口公園のあるこの地で亡くなったとのこと







どこにでもある都市伝説の一つだが
東日本大震災で民間伝承の重要性が明らかになったように
私たちは先人が語り継いだ民間伝承に
もっと耳を傾けてもいいのではないか

写真は落別王の墓とされる前方後円墳の上に祀られた
衣の君落別王命陵(児ノ口神社社伝)



こちらは参考までに






コピーは亡くなった郷土史家の若子旭さんが編纂した
豊田市教育委員会発行「資料に見る明治・大正・昭和のあゆみ」
より転載したもので、記事は加茂時報(現在の加茂タイムス)







現在の児ノ口公園を第三次公園
昭和30年代のスポーツ公園を第二次公園とすると
第一次児ノ口公園といえるもので
私は挙母新八景の一つとして描かれたのを
見た記憶があるが定かではない










  


Posted by かとうさとる at 14:40 | Comments(0) | アーカイブ