2012年07月04日

鈴木正三研究家神谷満雄先生逝く






かねてから入院療養中で心配をしていた鈴木正三研究会会長で
豊田文化賞を受賞された神谷満雄先生の訃報が届いた。享年87歳。






7月6日発行の地元のオピニオン紙「矢作新報」のコラムより転載







神谷先生は1925年市内旧上郷町に生れ、1960年東京大学法学部を卒業。旧東海銀行取締役調査部長、中部大学教授、拓殖大学教授を歴任した経済学博士。







    左は、鈴木正三の生地、則定町の心月院を案内する神谷満雄先生
    中央は、中近世日本思想史家で哲学博士の加藤みち子さん
    右は、国際エコノミストの水野隆徳さん
    神谷先生は東京在住で、楽しみにしていた豊田入りは
    2009年が最後となった



神谷先生の経歴が示すように、鈴木正三研究の特徴は、正三が仏教思想家にも関わらずエコノミストが多い事で、旧東海銀行在職当時の神谷先生に鈴木正三の研究を奨めたのも日銀の調査役だった。

理由の一つは、鈴木正三が日本人で初めて職業倫理を説いた『万民徳用』を著したこと。

西欧諸国が200年を費やした近代資本主義社会の構築を、日本が100年たらずでなしとげた原動力を研究した多くの先学がたどりついたのが鈴木正三で、私も神谷先生のご紹介で、当時テレビの経済番組で活躍していた水野隆徳氏など、何人ものエコノミストを恩真寺に案内した。

このように書くと、鈴木正三研究は一見順風に思われるが、本格的な鈴木正三研究が進んだのはここ数10年のこと。






    神谷先生の自筆の原稿



鈴木正三は、広辞苑に「仮名草子の作者」、「禅と念仏を融合させた仁王禅の提唱者」とあるように、行業が多岐にわたるため、長い間歴史の中で埋もれる原因の一つとなっていた。

こうした歴史の空白を埋めたのが神谷先生で、宗教学者で麗沢大学教授保坂俊司氏は「神谷博士は、現実社会とアカデミックな世界の両領域に通じた研究者であり、実社会と宗教世界の双方で活躍した正三の全貌を研究するには最適な学者」と記している。






神谷先生の鈴木正三研究は、1996年出版の『鈴木正三全集上下巻』に結実。全国の鈴木正三研究のバイブルとなった。いまはただ頭を深くして深謝するのみである。  


Posted by かとうさとる at 08:44 | Comments(0) | とよたの文化