2012年03月10日

峯月流稲本林さんへ一年遅れの追悼文 






いま、松坂屋豊田店で峯月流いけばな展が開催されているが
40年ほど前、伝統的な生花の凛とした立ち姿を
いけばなの美の典型として信じて疑わなかった私の前に現れたのが
当時峯月流を背負っていた稲本林さんである

野生の獣が夜の巷で遭遇したようなもので
よく覚えていないが「二人で展覧会をやるか」という話になった
果たし合いのようなもので意気込んで戦に臨んだが結果は私の完敗

喧嘩に負けた犬が勝った犬に尻尾をふるようなもので笑ってしまうが
私のいけばな観はこの時を境に一変した

後にあることから路線対立して袂を分ってしまったが
いまの私があるのは稲本さんとの出会いがあつたからで
いつか稲本さんのことを書いてみたいと思っている

まあ、私のことでアテにならないたため
峯月流展が開催されているいまならどこかで
笑っているかもしれないので、ご挨拶代わりに



一年遅れの追悼文


元原稿は地方紙の追悼記事として書いたが
社との行き違いで没になってしまったもの

一年遅れの追悼文になってしまったが
多分「また、かとうの奴」と笑っているのではないか






文武両道に優れた異才稲本林さん

5月1日(日)豊田市華道連盟初代理事長で
又日庵研究家の稲本林さんが逝去した
享年75歳

稲本さんは峯月流初代家元稲本雅風さんの三男として豊田市に生まれ
父雅風さんの薫陶をうけていけばなの道に進んだ

斬新な作風で全国からも注目を集め、初代華道連盟理事長に就任
昭和47年に豊田市体育館で全国初の「いけばな千人展」を主導
記念講演に大徳寺の立花大亀和尚を招くなど
現代いけばなの展開に多大な足あとを記した

華道連盟理事長を辞してからは又日庵(寺部藩主渡辺規綱)の
研究家として所蔵品を豊田市郷土資料館に寄贈するなど
郷土史研究家としても活躍

また、剣道の師範(教士7段)として後進を指導するなど
文武両道に優れた異才を惜しむ声は大きい





季節はもう春

久しぶりに美しい紙面を観た(拍手)





3月9日付け朝日新聞
  


Posted by かとうさとる at 04:24 | Comments(1) | いけばなから