2012年02月22日

観る人のいない花を玄関に活ける








転んでもタダでは起きないのがオジサン
猿投山の手土産のアオキを玄関に活けて遊ぶ






花⇒白梅のずばえ、南天、アオキ、雑木の小枝ほか
器⇒黒陶(河村俊郎)
絵⇒宮川洋一(春陽会)


  


Posted by かとうさとる at 21:45 | Comments(0) | いけばなから

2012年02月22日

ぐるっと猿投山





■猿投山のビューポイントはここ


2月21日午後、デスクワークの手を休めて
深見の区長と農村舞台の打合せを済ませた帰り
猿投山のビューポイント西中山の大池でクルマを止めた






豊田市と瀬戸市にまたがる猿投山は古くから
山嶽信仰・巨石信仰の山として崇められてきた信仰の山で標高629㍍

写真は西中山の大池から眺めた猿投山
山桜と藤のグラデーションが見られる新緑の頃がベストショット




■日本の焼物の歴史はここから始まった






猿投古窯の多口瓶の写しに笹を活ける(1884年)


須恵器の時代から鎌倉時代のはじめにかけて
千基を超える窯が焚かれたと言われている「猿投古窯」の名は
この山の西南麓一帯にかけて遠くは常滑まで続いていたことから
命名されたもの




■猿投神社と幻の神宮寺





猿投山の麓に鎮座する猿投神社は三河屈指の神社で
猿投山の東峯に東宮、西峯に西宮を祀り古くから崇敬を集めてきた
祭神は大碓命(日本武尊の同胞双生児)で西宮に宮内庁管轄の墓所がある







正月は神社に初詣をしてクリスマスを祝って葬儀は仏式
イスラムなど一神教の人たちからみるといい加減なものだが
異国の神様をもわけ隔てなく受け入れるのが私たちの民俗で
この国に生れてよかったと思っている人は多いのではないか

上の図は明治政府の廃仏毀釈によって消失する以前の
猿投神社を描いた「猿投大明神社頭焼失絵図面」で
境内の神宮寺は12~15坊に及んだとのこと
(図説豊田・加茂の歴史より転載)







猿投まつりは
旧暦の9月9日を祭日とすることから節句祭りと呼ばれ
かっては三河・尾張・美濃から186か村が参集し
神輿渡御、火縄銃、棒の手奉納、献馬などが行われた

上の図は祭礼の賑わいを伝える
「猿投神社祭礼絵巻」の部分で中央左の寺院と
杉木立の中の寺院に注目
(図説豊田・加茂の歴史より転載)







右の建物は上図の杉木立の中の寺院の遺構
駐車場左の雑木林が上図中央左の寺院址

境内や周辺で異様な磁場を感じることがあるが
後で調べると神宮寺のあったあたりとわかって
以来私は余程の事情がない限りパス




■見晴らしも最高











山頂近くの展望台からは三河湾から伊勢湾まで一望にできる




■なんでこうなったのかわからないが
オジさんはヘトヘト









東の宮の登山口
















鳥居から東の宮まで約1,000㍍
舐めていたがかなりキツイ







どんな建物が建っていたのか気になる礎石の遺構







猿投山の最高地点に祀られている東の宮







西の宮はパス
宮内庁管轄の大碓命の墓所はこの奥

なんでこうなったのかわからないが
農村舞台の打合せのつもりが予定外の
トレッキングでヘトヘト  


Posted by かとうさとる at 21:43 | Comments(0) | らくがき帖