2011年04月29日

稲武地区/川手の農村舞台






あとは果報を寝て待つだけ

今朝一千万当たった夢を見た。笑ってしまうがこれは天の啓示かも
と、宝くじ売り場に並んだ。ふと見ると今日は大安吉日の貼り紙。





あとは果報を寝て待つだけ



冗談はさておき
農村舞台アートプロジェクトの協議再開






昨日は文化振興財団の文化課長の鈴木君と旧稲武町に足を運んだ。稲武の名の由来は稲橋村と武節村が合併して一字づつとったもので、平成17年4月、豊田市と合併。市の中心部から車で約70分。中央高速の恵那I.Cから約60分という距離からもわかるように、岐阜県と長野県境に接し、古くから秋葉街道(R257)と中馬街道(R153)が交わる交通の要衝(武節宿)として栄えてきた。






武田信玄の狼煙台が置かれた杣路峠の説明板






杣路峠(標高838㍍)に続く旧道


「長篠の戦」に敗れた武田勝頼が武節城で休息し、梅酢湯を喫して甲州に帰ったと伝えられているように、いまもあちこちに武田伝説が残る歴史好きにはたまらない山間の宿駅で、中馬の背で足助塩を運んだ旧街道の峠道はトレッキングにも最適でお薦め。

那須支所長、池田主幹、広瀬副主幹、後藤交流館長と取り組みの協議をしたあと、「道の駅」近くの食堂で奨められた「味噌カツ定食」を注文したが絶品。ヤマメやアマゴ、アユもお薦めとのこと。山地水明で、温泉もあって料理が美味しいとくれば、足を運ばない手はない。



川手の農村舞台 





歴史に翻弄されるのは交通の要衝の宿命で、川手城址に墓が残る山田氏もまたそんな一族に加えてもいいのではないか。川手の農村舞台との関わりはわからないが、少し調べてみようかな。






山里の宿命だが仲良くできないものか






参道を上っていくと川手の農村舞台が見えてきた







屋根はトタンの仮葺になっているが、内部の造りや経年から幕末から明治にかけて建てられた、元は萱葺きの舞台と思われるが不明とのこと。






舞台の正面は川手町八幡神社の社殿






この碑も調べてみよう






舞台の下を走るのは恵那と遠州を結ぶ秋葉街道(R257)
道路に並行して流れるのはアユ釣りで有名な名倉川






道の斜面は山吹が今が盛り 






旧旭町経由で帰路についたが
見渡す限り「目に青葉山ほととぎす初がつお」
そう言えば美味しいカツオを食べていないことを思い出したが
一人で食べる料理は何を食べても一緒で不味い。
  


Posted by かとうさとる at 22:43 | Comments(0) | 農村舞台