2011年04月07日

早く桜前線が北上してほしい


本題に入る前に
「一億総懺悔」という言葉について



「一億総懺悔」という言葉がある。前からいつ、誰がどのような考え方で言ったのか気にかかっていたため、少し調べてみた。

戦後処理内閣として憲政史上最初で最後の皇族首相となった東久邇宮稔彦王(任期≠1945年8月17日-10月9日)が「全国民一億総懺悔することが日本再建の第一歩」と記者会見で語った事に拠るとのこと。

連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理などによる国内の混乱を収めるため、「困難を乗り越えて全国民が一丸となって頑張ろう」というメッセージで、なんとなくよくわかる。

いまで言うところの流行語大賞のようなものだが、冒頭で「気になっていた」と言ったのは、この言葉の流行には恣意的な世論操作があったのではないか、と、漠とした疑問を今も抱いているからである。






いまさらこんなことを詮索しても仕方がないためストップするが、東日本大震災の政府や東電の対応に対して私が辛辣なコメントを記すのは、被災者の我慢強さに甘えて「国民を守る政府の責任」、メディアを含めて「原発安全神話を生み出した構造的責任」など、「一億総懺悔」でリセットされかれない危惧を抱いているからで、私の杞憂で済めばいいが。







政府は東日本大震災の復興財源確保のため、衆参両院で半年間歳費をカット(22億円)に続いて、公務員給与の削減、ODAの削減を検討しているようだが、約320億円の政党助成金は手つかずで、国会議員たちは何を考えているのかわからん。



早く桜前線が北上してほしい









豊田市美術館テラス東斜面の桜



いま枝垂れ桜を活けるとしたら
多分生涯に一度のことになるはず


私はこれまで2度「桜」を活けた。一度はポンピドーセンターのフィルムコンペに応募するため、本多静雄邸の能舞台に「山桜」を。もう一度は作品集の制作で廃線になった三河線「枝下駅」のホームに「染井吉野」を活けた。山桜は納得したがビデオ撮影に神経が集中していて写真に記録するのを忘れてしまった。染井吉野はロンドンからリーガンさんが「桜を活けるのを見たい」と言って豊田まできたのに、納得していないため写真は封印したまま、他人に見せていない。






そんなわけで、毎年のように今年こそ「桜に挑戦しよう」と思ってきた。それも「枝垂れ桜」で、今日もその枝垂れ桜の咲き具合を見るため小原に車を走らせた。

枝垂れ桜の「主」の山内洋子さんは、「さとるさん、今日猿投神社で式を挙げることにしたから立ち会ってほしい」と突然電話がくるようないい加減な友の方割れ(?)で、「好きなだけ切っていい」と言われているが、正直に言って自信がない。

活けるとしたら、来週の金曜日あたりで多分生涯に一度のことになるはず。こんなことを自分で言うのは恥ずかしいが、私の人生において最も気力の充実した時期(ラストチャンス)に差し掛かっている「今」をおいてないことは確か。だが枝垂れ桜を活ける「力」はまだない。どうしよう。











  


Posted by かとうさとる at 11:29 | Comments(0) | いけばなから