2010年03月21日

農村舞台の予備調査はじまる


先ずは関係者全員で
上々のスタート


3月20日(土)豊田市議会議長の八木哲也さんのよびかけで、
農村舞台の再生に向けた予備調査が始まった。予備調査と言っても下見をしただけだが、文化振興財団、文化振興課、文化財課、美術館、関係地区の支所長、議員が参加しての意思表示で、セレモニーとしては上々のスタートとなった。





東京23区より広い地域を回るため1ケ箇所10分程度の強行軍で、少々バテ気味。前列左から八木哲也さん(市議会議長)、伊丹靖夫さん(美術連盟理事長)、市川明徳さん(書家)、私かとうさとる、中根学(稲武支所長)、柴田典夫さん(陶芸家)、後列左から市会議員の三江弘海さん、北川智昭さん(美術館学芸員)、酒井利秀さん(文化振興財団)、岡田隆弘さん(劇団ドラマスタジオ主宰)、伊藤達也さん(文化財課長)、最後の方は名前を失念してしまいました。ごめんなさい。
(背景は旧足助地区明川の農村舞台)



テレビがなかった時代
祭礼のシーズンが近づくと
我が家の庭先は農村舞台に一変


私の親父は、数人の仲間と、民謡と民俗芸能をコラボレーションした獅子舞の一座を組んで、NHKのど自慢大会の中部地区大会で優勝。初めてテレビ放映されたのど自慢全国大会(昭和29年)で準優勝するなど、いまは絶滅した地芸能の継承者の一人だった。そんなこともあって、各地の盆踊りや祭礼に招ねかることが多く、シーズンになると我が家の庭先は、練習や音合わせを見に来る近所の人たちで、農村舞台のような賑わいを見せていたことを覚えている。

ところが私は親父の獅子舞を見たことがない。覚えているのは三河万歳や鳴り物を得意とする親父で、のちに一座を組んでいた人から「お前の親父の胡弓は名人だったぞ」と聞かされたことがあるが、当時は胡弓の弦のすりきれるような音が耳障りで仕方がなかった。





深い眠りから覚めた農村舞台に春の訪れ



私が農村舞台に惹かれる理由

獅子舞と言えば今も鮮烈に覚えていることがある。昭和28年頃だったと思うが、部落の祭礼で見事な獅子舞があり、神社の境内に万雷の拍手が鳴り響いた。私も荒ぶる神が現れたと恐怖に震えながら大人に交じって拍手した。しばらくして一段と拍手が高まった。獅子頭をもった人を見て思わず卒倒しそうになった。そこにすくっと立っていたのはまぎれもなく祖父で、今もあの祭りの夜の出来事を信じることができないが、親父が祖父の影響を受けていたことは間違いない。

私が農村舞台に惹かれるのは、私の深層にもそんな血が流れているからではないか。そうとしか理由が思いあたらない。  


Posted by かとうさとる at 13:01 | Comments(0) | 農村舞台