2009年06月04日

作品ライブラリー(23)猿投神社で水をいける


作品集の巻頭は猿投神社と決めた理由

私が初詣でお参りする猿投神社は、古来より武家の崇敬が篤く、中世の衣の里を治めた中条氏はたびたび神田を寄進。徳川家康も慶長7年(1602)776石の神領を安堵するなど、当地では屈指の石高をもつ神社である。こうした大社に共通するのが神仏習合で、明治元年の神仏分離令により取り壊されてしまったが、盛期には16僧坊を数えたという。キナ臭い話に事欠かない今、歴史はいつかきた道に戻ることを肝に命じなければ。話は余談に逸れたが、そんな訳で作品集の巻頭は猿投神社と決めた。





上図は『豊田・加茂の歴史』より転載した「猿投神社祭礼絵巻」の部分。
杉木立の中の建物は神宮寺の一つで現存。左の建物も神宮寺の一つで碑が遺されている。絵巻の上部に描かれた建物が消えた神宮寺群と思われる。





猿投神社の正面。左奥に禊の御水場があるが工事中のため撮影は断念




猿投神社で水をいける





器は猿投の土で焼いた猿投窯山田和俊さん快心の陶
1988年夏、身体を清め滝壺の石の上に陶を静かに沈めた

  


Posted by かとうさとる at 01:55 | Comments(0) | 作品ライブラリー